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三人称の話者の立ち位置とはどこに存在すべきものなのか、さっぱり分からない。
例えばベジータ視点で、一人称での”俺はカカロットに対して連続エネルギー弾を放った”は三人称に変換すると”ベジータは(カカロット|悟空)に対して連続エネルギー弾を放った”のどちらになるのか。
前者はベジータに対して親身になりすぎで、後者は第三者(筆者)の存在が明確になりすぎる気がする。でも多分後者が正解っぽい。
また一人称での”この宇宙は俺の物だ。”は三人称にすると”この宇宙はベジータの物だ。”か”この宇宙は自分のものだ、とベジータは思った。”か”(この宇宙は俺の物だ)”の3つの候補があると思う。
一つ目はベジータ個人の考えであるにも拘らず、筆者の考え(=絶対的設定)に見えて据わりが悪い。さっきのが後者であるとすると特に。二つ目は確実だが、ことあるごとに”~と思った”とか書くのは冗長な気がする。三つ目はこういう表現が多発すると、やたら発言者が移動して不安定な印象があるから、ここぞというときに使うべきと思う。
この例だと、ベジータの考えと一般的事実の乖離が激しいから一つ目にされ辛いが、どうもそうでないときは1つ目が何気なく使われてることがあるように思う。とりあえず二つ目を使っとくのが無難だろうか。
難しい。
こういった問題は一人称ならば全て解決されて、気軽に心の中の呟きも地の文に混ぜてしまえる様な気がするが、客観的に物事を捕らえ辛いという欠点もある。加えて三人称書けないから一人称で書くのは逃げにしか思えないから、どれでも書けるようにしておくべきなんだ。
そしてその前にもっと本を読むべきだ。
- 2008/09/16(火) 03:48:17|
- 一次創作
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