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オリジナルランダマイザー

続・宝くじの話。
この前のシミュレーターを眺めていて疑問に思う。一体どの程度待っていれば回収率の期待値は安定するのか。

一瞬95%信頼区間とかいう言葉が頭に浮かぶが、今考えてることとは多分関係ない。必要なのは無限母集団からの必要標本数である。これは
1/((精度/対信頼度正規分布点)^2*(1/(母比率*(1-母比率)))
で求められるらしい。精度を3%、信頼度を95%、母比率を0.5として計算すると1067.11となる。
つまり最も確率の低い1等が1067回当籤するまで―1等の当籤確率は1/10000000であるから―即ち10671111111枚購入すれば最大誤差3%の範囲で95%信頼出来る期待値が導かれるということになる。厳密には少し違うがまあそんなもんだろう。
107億枚で3兆2000億円ぐらい。国家予算みたいな話になってきた。

では先のシミュレータでこの枚数購入するのにかかる時間はどの程度か。
速度を速にして大体1秒間に60枚程度購入しているようなので、60で割って177851851.85秒、即ち5年と233日と半日程必要になる。
5年あったら高校生も大学院生になるわ!

というわけで自分でシミュレーションした方が速いという結論に達したので書いてみた
やってることはむちゃくちゃ単純なのでインターフェイスにさえ拘らなければ簡単に実装出来る。
以下1時間近くかけてまわした結果。

NOW BUYING.
計算時間:3054.006秒

購入枚数合計: 1.0671111111E10枚
購入金額合計: 3.2013333333E12円
当籤金額合計: 1.5101986896E12円
回収率: 47.17405319499348%
内訳
1等(2億円): 1072枚(2.144E11円)
前後等(5000万円): 2217枚(1.1085E11円)
組み違い賞(10万円): 106586枚(1.06586E10円)
2等(1億円): 2130枚(2.13E11円)
3等(500万円): 10666枚(5.333E10円)
4等(10万円): 545304枚(5.45304E10円)
5等(1万円): 10668839枚(1.0668839E11円)
6等(3000円): 106700276枚(3.20100828E11円)
7等(300円): 1067131572枚(3.201394716E11円)
ジャンボ30年感謝賞(100万円): 106501枚(1.06501E11円)


ここまでやっといて何だが、籤10000000枚=1ユニットにおける当籤金額が14億1990万になることは明らかに決まっていて、当然回収率は47.33%に収束するはずである。
これぐらい数が大きくなると擬似乱数の性能の悪さが露見する可能性を危惧もしたが、そうでもなく、案外良い値に落ち着いたなーというお遊び以外のなんでもない話。

更に余談としては、この回収率は50%を越えてはならないということが当せん金付証票法で定められているので、日本にはこれ以上の回収率の宝くじは存在しない。何故わざわざ上限を定めるのかといえば、そもそも宝くじの大義名分が地方財政の資金調達にあるからだ。購入者の為、と払い戻し過ぎては本末転倒。
つまり法律的な観点で見れば宝くじの購入は喜び勇んで税金を払いに行く行為ということになる。怖っ。
  1. 2009/02/01(日) 05:33:37|
  2. 学問(抵牾)
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分け隔てなきランダマイズ

宝くじシミュレーターというものがあったので、きっとこれは「宝くじとは1枚買うごとに150円ぐらいをドブに捨てる遊びのことだよ」と分かりやすく教えてくれるものなのだと思っていっぱい回してみたら、180万枚程買った時点で3等(500万)は無いのに1等(2億)1つと2等(1億)2つ当たって、その他諸々含めて2500万ぐらい利益出てた。
kuji.jpg
どうやら5億円払うだけでお金持ちになれるチャンスを逃してしまったらしい。残念。



もうちょっと真面目に考えると、宝くじというものは「お前らを一握りの勝ち組と大多数の負け組みにランダムに分けてやるから15億円程よこせ」って話であり、つまり「全世界の人間から1人1円ずつ徴収出来たら、各人の懐の痛みは誤差の範囲なのに自分は億万長者になれる」という妄想を実現してくれる話なんだろう。切り捨てられる利子の端数を掠め取ることで莫大な軍資金を得ていた攻殻のクゼの如く。その中間マージンとしてこの回収率が高いか安いかはさて置き。
このような極端な世界に身を投じたいなら期待値云々の考えは然したる意味を持たず、購入は一概に無為とは言い切れない。
だからと言って別に買う気はしないけど。
  1. 2009/01/28(水) 04:04:39|
  2. 学問(抵牾)
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”働け!メモリちゃん”は、頼むから働いてくれよ芽森ちゃん…というニュアンスを含んだタイトルであって、決して高性能な記憶媒体を有したアンドロイドが精力的に仕事をする話などではない

「確かにこの目で見たのだから間違いない」という表現が存在するが、その真偽の根本を担う記憶は果たして信用して然るべきものであるのか。

人間の記憶は忘却によって成り立っている。

脳は常に与えられた情報が自らの生にとって有用であるかの判断を下し、不要であればそれは破棄してしまう。英単語や数学の公式などが容易には覚えられないのは、それが生存を目的とするという見地において、短絡的には何の役にも立たないと脳が判断しているからだ。それでも記憶したいのであれば、それをひたすらに反復するなどして、重要な情報であると脳に錯覚させる必要がある。
これもまた人間が進化の過程で獲得したシステムであり、このシステム無しに全てを記憶することは混乱を齎すばかりで、生きる上では大したメリットを得ることは出来ない。

それだけでなく、脳は記憶の捏造すら行い、ありもしない事実をさも経験したかのように錯覚させる。

イメージとしては、暗い部屋の中にある多数の底の深い引き出し付きの棚に仕舞われた粘土細工、がこれを的確にあらわしているように思う。
重要で何度も反復経験された記憶の粘土は、乾燥して固まっていて、どの棚に仕舞われているのかさえ分かれば問題なく取り出すことが可能だ。
対して、曖昧で定着していない記憶の粘土はまだ乾燥しておらず軟らかいために、手探りで取り出そうとすると、取り出すのに都合の良い形に変形する。これが繰り返されることによって、粘土はオリジナルの形状を失ったまま、固まり定着してしまう。

記憶の捏造を明確に示す例として、ワシントン大学の認知心理学者であるエリザベス・ロフタス教授の生徒が課題として行った以下の実験がある。
まず実験者である学生は駅の待合室に鞄を放置して、数分間外へと出掛ける。その間にもう一人の実験者が周囲の視線を気にした様子で待合室へと入り、放置された鞄に手を掛け中から何かを取り出す素振りを見せる。このとき実際には何も取り出さない。しばらくして鞄の持ち主が待合室へと戻り、「大事なテープレコーダーが無くなっている」と声高に叫ぶ。ここで待合室にいた無関係の人間に盗難を目撃したかについて証言を取る。
するとその被験者たちの半数以上は、盗まれたところを目撃したというどころか、実際には存在しないはずのテープレコーダーの色や形状などを、さも実際に見たかのように語りだす、というものだ。

更に身近で実際に経験しているかもしれない例には、あまりに速く回転し過ぎているために逆にゆっくり回転しているように錯覚する、という現象がある。これは、回転体のある時点・ある地点での位置を0゜としたとき、次の瞬間に位置が355゜~365゜程度に移動することによってそれを-5゜~5゜に移動したと錯覚する現象である以上、静止画を連続で表示することで動画に見せている映像内か、1秒間に50回ほどの速度で明滅している蛍光灯下でしか起こらない現象である。もしこの現象を映像ではなく屋外の太陽光の下で目撃した記憶があるならば、それは間違いなく捏造された記憶に外ならない。

このように、記憶とはどれだけ実際的経験を伴って確固たると自信を持ったものであっても信用に足るとは言えず、常に疑ってかかるべき曖昧模糊とした代物である。このことを肝に銘じておくことは、人と過去の出来事に関して意見が食い違ったときなどに、意固地になり過ぎることなく、客観的に事実を見つめやすくする助けになるのではないだろうか。
そうすれば五分前世界創造仮説を眉唾ものであると一蹴することなく、可能性について冷静に議論することも出来る。

つまるところ何が言いたいかと言えば、同じことを何度も書いてしまうということは侭あることなので気にしちゃ駄目です。今後とも。
  1. 2008/11/09(日) 20:10:50|
  2. 学問(抵牾)
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しかし私は貧乳派です。

人はしばしば不老不死を願いながら、何故死んでしまうのか。
実は不老不死は既に別の形で実現している。

生物は何らかの要因による体の各部位の損傷を細胞分裂によって修復することが可能だが、これにはDNA複製に際するテロメアの短縮によって、回数制限が設けられている。おそらく、この制限をなくして不老を実現するのは、生物にとって不可能ではないと私は思う。しかしそれが行われていない理由は、結局一個体が長期間生き永らえるようなシステムを有したところで、環境の変化の前には為す術が無いという点にある。
環境の変化に対して強くなるには、エネルギーの補給や危険の回避といった生存のための方法を固定せずに、リスクを分散させる必要がある。そのためには一個体が継続して生存すべきという概念を金繰り捨てなければならない。これこそが現在行われている一定期間経過による死と、交配による世代交代というシステムだ。個体は生き残るのにより適した遺伝子を求めて交配し、時には突然変異を起こし、環境にそぐわない個体を淘汰して行く。いわば個体は遺伝子にとって、その時その時に都合の良い乗り物に近い状態になる。これによって個体ではなく種そのものが半永久的に(現に35億年)生き永らえる。

ところで生物の行動原理はほぼこの優秀な遺伝子を次世代に残す、即ち子孫繁栄によって説明され得る。人間の場合においては、脳の発達による思考の高次元化や複雑な社会環境の構築によって単純に当て嵌まらないような行為も多くなるが、ことパートナー選びに際してはこれによって解釈可能な感情の想起が大半だ。低身長・肥満体・薄毛が嫌われるのは次世代に病気発生率の低い健康な個体を期待するためだとか、乳房の大きな女性が好かれるのは出産可能なまでに成熟していることの外見的な確認のためだとか、考え次第ではいくらでも説明可能である。難しいのは顔の美醜が結局のところ選択において大きなウェイトを占めるということで、これは顔が良ければその遺伝子は子孫代々熾烈な恋愛競争を勝ち抜いてきたと想像され、つまりたいていの場合この遺伝子は優秀であると考えることが出来るが、ならばこの基準はどこで定まったのかという、卵が先か鶏が先かという問題に帰着してしまうため、容易にはこのプロセスを説明できない。

閑話休題、では何故種はそうまでして生き永らえようとするのか。
種に子孫繁栄という意志が元々備わっていて、それが絶対的真理だということは有り得ない。そこにはただ生き残ろうとしなかった種は現在に残っていないという結果があるだけだ。そういった種が淘汰されて、生に対して積極的だった種だけが、交配によってその特徴を色濃くしていく。要は単なる偶然だ。

遺伝子は偶然による生のために死というシステムを採用する。
生を求め、死を畏れる人間の意識など、システムを立ち行かすための幻想に過ぎないのだ。
  1. 2008/09/12(金) 23:41:06|
  2. 学問(抵牾)
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ぬこぬこ

量子力学とか相対性理論についての講義は受けた覚えがあるものの、全く理解しないまま試験を受けて、1割ぐらいしか書かずに提出したら、何故か単位が貰えたという過去を、適当なことを言うための言い訳として前に置いておきます。

たしか宇宙全体を記述する方程式の存在は随分前に否定されてるんですよ。
どうも我々が見ている世界の常識はミクロな系に対しては当て嵌まらないらしいです。例えば電子の位置を求めようとすると速度が分からなくなり、速度を求めようとすると位置が分からなくります。観測自体が電子の状態に影響を与えてしまうのです。しかも、観測するしないに拘らず電子の位置と速度は決まっているんじゃないの?というとそうではなく、量子力学的には観測しなければ電子の位置と速度は決まらないのです。存在は観測によって成り立つという哲学的な話に通じるものがあります。ともかくこの時点で世界を0と1だけで記述することなんて絶対に不可能です。素粒子に至っては確率的にしか存在しないとかで本当に意味が分かりません。
確率的といえば、このミクロな系における確率とは、神がサイコロを振るかの如く、本当の意味で確率的です。コインを投げてキャッチしてそれを手で隠して裏か表かという問題は、一見50%の確率の問題に見えるものの、コインを投げる力の強さや向き、風向き、キャッチする手の位置など結果に関連するあらゆるデータを解析することが出来れば(今の所ほぼ不可能に近いものの)、実際に結果を観測せずとも結果を知ることが出来、観測する前から確実に裏表は決定しています。ゆえに現実世界で起こっている確率的な事象は全て擬似的な確率であると言えます。しかし先述の場合には結果を生み出すための原因が一切存在せず、それこそが本当の意味での確率と言えるのです。この立場をアインシュタインは「神はサイコロを振らない」として否定していますが。
有名なシュレディンガーの猫とは、この本当の意味での確率を、猫の生死という極めて現実的な事象に適用することによって、半分死んでいるが半分生きている猫という非常識的な状態が実現してしまうという問題の提起と言えます。この矛盾に対しては未だに一意的な解釈が定まっていないようです。

このように量子力学というものはさわりや概念的な部分にだけ関して言えば、非常に興味深い事柄が満ち満ちているのですが、如何せん数式などで証明したリという話になると、概念との関係性を見失って挫折してしまいます。
だからどうにも物理学の深いところは苦手なのです。
ところでカテゴリー無駄に増やしているけれど、似たような話を今後書くのかといえば甚だ疑問です。
  1. 2008/09/07(日) 08:52:35|
  2. 学問(抵牾)
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