FC2ブログ

しかし私は貧乳派です。

人はしばしば不老不死を願いながら、何故死んでしまうのか。
実は不老不死は既に別の形で実現している。

生物は何らかの要因による体の各部位の損傷を細胞分裂によって修復することが可能だが、これにはDNA複製に際するテロメアの短縮によって、回数制限が設けられている。おそらく、この制限をなくして不老を実現するのは、生物にとって不可能ではないと私は思う。しかしそれが行われていない理由は、結局一個体が長期間生き永らえるようなシステムを有したところで、環境の変化の前には為す術が無いという点にある。
環境の変化に対して強くなるには、エネルギーの補給や危険の回避といった生存のための方法を固定せずに、リスクを分散させる必要がある。そのためには一個体が継続して生存すべきという概念を金繰り捨てなければならない。これこそが現在行われている一定期間経過による死と、交配による世代交代というシステムだ。個体は生き残るのにより適した遺伝子を求めて交配し、時には突然変異を起こし、環境にそぐわない個体を淘汰して行く。いわば個体は遺伝子にとって、その時その時に都合の良い乗り物に近い状態になる。これによって個体ではなく種そのものが半永久的に(現に35億年)生き永らえる。

ところで生物の行動原理はほぼこの優秀な遺伝子を次世代に残す、即ち子孫繁栄によって説明され得る。人間の場合においては、脳の発達による思考の高次元化や複雑な社会環境の構築によって単純に当て嵌まらないような行為も多くなるが、ことパートナー選びに際してはこれによって解釈可能な感情の想起が大半だ。低身長・肥満体・薄毛が嫌われるのは次世代に病気発生率の低い健康な個体を期待するためだとか、乳房の大きな女性が好かれるのは出産可能なまでに成熟していることの外見的な確認のためだとか、考え次第ではいくらでも説明可能である。難しいのは顔の美醜が結局のところ選択において大きなウェイトを占めるということで、これは顔が良ければその遺伝子は子孫代々熾烈な恋愛競争を勝ち抜いてきたと想像され、つまりたいていの場合この遺伝子は優秀であると考えることが出来るが、ならばこの基準はどこで定まったのかという、卵が先か鶏が先かという問題に帰着してしまうため、容易にはこのプロセスを説明できない。

閑話休題、では何故種はそうまでして生き永らえようとするのか。
種に子孫繁栄という意志が元々備わっていて、それが絶対的真理だということは有り得ない。そこにはただ生き残ろうとしなかった種は現在に残っていないという結果があるだけだ。そういった種が淘汰されて、生に対して積極的だった種だけが、交配によってその特徴を色濃くしていく。要は単なる偶然だ。

遺伝子は偶然による生のために死というシステムを採用する。
生を求め、死を畏れる人間の意識など、システムを立ち行かすための幻想に過ぎないのだ。
スポンサーサイト



  1. 2008/09/12(金) 23:41:06|
  2. 学問(抵牾)
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:0