勉強をする気が起こらない。
高校時代なら、一日勉強以外何もしないような日が続いても別に苦痛を感じなかった気がする。しかし今や、勉強しないと死ぬような状況にあっても、ある程度勉強したらその半分程度は遊ばないと、気が違いそうになるぐらいに辛いし苦しいし疲れる。
サボリ癖が付いてしまってるとか体力が衰えてるとかが原因の大半だろうが、そのほかにも「難易度高すぎて一向に理解出来る気がしない」ってのも少なからず影響してると思う。
思うに、受験勉強は”作業”だった。
問題があって、その問題を解く為の道具が世の中に溢れ返っていて……要は道具の使い方さえ覚えればいくらでも問題は解ける。特にセンター。
作業大好き人間としては、これは楽しみ以外の何物でも無い。
そこから少し進んでも、線形代数学とか基礎解析学とかその辺りなら、みんなやってるおかげで「よくわかるなんたらかんたら」って本も出回るぐらいだからまだいい。
しかし、更に先に行くとほんとに研究者しかその分野について語れない、教科書オンリー、専業教育者不在の世界になってくる。
いわゆる教科書というものには”定式化された厳密な定義”が求められていて、問題を解くのに便利な計算方法なんかは通常記載されない。
例えば微分は「f'(x) = lim(⊿x→0) (f(x+⊿x)-f(x))/⊿x」であり、「右上の数字を前に持ってきてから1減らすんだよ」は教師の口頭説明や参考書の領分である。
(いや f'(x)=nx^(n-1) と簡単に定式化出来るからこれは教科書にも載ってるけど、パッと良い例が思いつかないからニュアンスよ伝われ)
こうなると、まず問題を解くには自分で道具を作るところから始めなくてはならない。これは最早作業の域を完全に超えている。
ここで初めて真の意味での頭の良さというか、発想力というか、論理的に思考し結論を導き出す力というか、回転の速さというか、効率的なニューロンネットワークの構成力というか、そういった根源的な脳の力が問われ、そして私にはその力が著しく欠如しているという事が今まさに露呈しているだと思う。
有り体に言えば、周り天才という名の異常者ばっかボスケテ。
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- 2009/09/10(木) 19:29:43|
- 学問(抵牾)
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