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ぬこぬこ

量子力学とか相対性理論についての講義は受けた覚えがあるものの、全く理解しないまま試験を受けて、1割ぐらいしか書かずに提出したら、何故か単位が貰えたという過去を、適当なことを言うための言い訳として前に置いておきます。

たしか宇宙全体を記述する方程式の存在は随分前に否定されてるんですよ。
どうも我々が見ている世界の常識はミクロな系に対しては当て嵌まらないらしいです。例えば電子の位置を求めようとすると速度が分からなくなり、速度を求めようとすると位置が分からなくります。観測自体が電子の状態に影響を与えてしまうのです。しかも、観測するしないに拘らず電子の位置と速度は決まっているんじゃないの?というとそうではなく、量子力学的には観測しなければ電子の位置と速度は決まらないのです。存在は観測によって成り立つという哲学的な話に通じるものがあります。ともかくこの時点で世界を0と1だけで記述することなんて絶対に不可能です。素粒子に至っては確率的にしか存在しないとかで本当に意味が分かりません。
確率的といえば、このミクロな系における確率とは、神がサイコロを振るかの如く、本当の意味で確率的です。コインを投げてキャッチしてそれを手で隠して裏か表かという問題は、一見50%の確率の問題に見えるものの、コインを投げる力の強さや向き、風向き、キャッチする手の位置など結果に関連するあらゆるデータを解析することが出来れば(今の所ほぼ不可能に近いものの)、実際に結果を観測せずとも結果を知ることが出来、観測する前から確実に裏表は決定しています。ゆえに現実世界で起こっている確率的な事象は全て擬似的な確率であると言えます。しかし先述の場合には結果を生み出すための原因が一切存在せず、それこそが本当の意味での確率と言えるのです。この立場をアインシュタインは「神はサイコロを振らない」として否定していますが。
有名なシュレディンガーの猫とは、この本当の意味での確率を、猫の生死という極めて現実的な事象に適用することによって、半分死んでいるが半分生きている猫という非常識的な状態が実現してしまうという問題の提起と言えます。この矛盾に対しては未だに一意的な解釈が定まっていないようです。

このように量子力学というものはさわりや概念的な部分にだけ関して言えば、非常に興味深い事柄が満ち満ちているのですが、如何せん数式などで証明したリという話になると、概念との関係性を見失って挫折してしまいます。
だからどうにも物理学の深いところは苦手なのです。
ところでカテゴリー無駄に増やしているけれど、似たような話を今後書くのかといえば甚だ疑問です。
  1. 2008/09/07(日) 08:52:35|
  2. 学問(抵牾)
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