行ってきた。
一応予約して良い席確保してしてみたものの、実際約200席のシアターに入っていたのはたった5人だった。いくらジャンプの看板作品といえども、最終日ともなればこんなものか。
観客の傾向にも多少興味あったんだけどさっぱり分からないよ。まあ前方に誰一人として存在しないからすごい見やすくてよかったけどね。
そんで昨日は色々と関連本読んだりしながら余韻に浸ってた。
以下随分長い間使うのを忘れてた機能で感想。
全体的に言って、存外にあっさりしていた印象を持った。良くまとまっているとも言えるし、掘下げが足りないとも言える。そこは良くも悪くもBLEACHらしいと思う
。私はこの感じにやきもきするのが好きだ。
ストーリーは、流魂街時代のルキアと家族同然に接していた姉弟が、死神に奪われたルキアを取り戻す為に、記憶を消す力と涅マユリの研究を利用して、死神という死神全ての抹殺を目論むというもの。その中でテーマとして掲げられた一護とルキア・ルキアと姉弟・姉弟同士の間にある絆というものが随所で語られる。
最終的にルキアを救う手立てが精神論以外ないのではないのかと思っていたが、そこを死神能力の譲渡という手段で以って解決を図るという展開が、原点回帰・原作準拠・二人の繋がり・命懸けの恩返し…様々な意味を伴っていて、物語の最大の見せ場としての機能も果たす素晴らしいものだったと思う。
そしてサブタイトルの”君の名を呼ぶ”を長い間ルキアの名前を呼ぶ一護という意味で捉えていたので、ルキアが姉弟に名前を与えるラストシーンで、サブタイが二重の意味を持っていたことに気づかされたのもあって不覚にも涙した。
また記憶喪失という題材は有りがちでベタベタながらも、ある人物における本来的な性格やもしもの時の行動が現れるので、単純に面白い。過去に実はこんなことがあった、という設定も矛盾無く入るし。
ただし根本となる設定がそもそも曖昧な上に、更によく分からない設定が重なり、もはや厳密な展開の整合性を理で計れない状態になっている。
割と簡単に暴走して大規模な破壊を齎すというリスクを負ってまで存在する霊子収束装置の本来の用途とは何なのか。
姉弟が記憶を消す虚を取り込めたのは何故か。更に姉弟が見せたルキアと一体化するかのような能力の原理は何なのか。
特に記憶を刈り取る能力に関しては、存在自体を概念的に消し去るような能力ではないのに、一人の記憶を消すと他者の記憶まで消えるという現象が発生し、それが”記憶は繋がっている”というオサレな理由で説明されるのは流石BLEACHとしか言いようが無い。
ルキアの記憶が消えるとルキアに能力を与えられた一護には及ぶ、改造魂魄であるコンには及ばない、ルキアの為に修行して会得した卍解狒狒王蛇尾丸には及ぶ、マユリの記憶が消されても、バックアップが別にあれば周りの記憶は消えない…と適用範囲の基準が曖昧過ぎて、これにもご都合主義を感じる。
演出的な面で見ると、瀞霊廷の大半が崩壊する展開は凄まじい迫力で、また個々のバトルのスピード感に満ちて、劇場版に相応しい出来だった。
毎度毎度これだけの数のキャラにそれぞれの見せ場を作らなければならないという制約は辛そうだが、今回は各キャラの重要度や人気に応じた過不足無い描写だったといえる。
また、アニメをあまり見てないので共通のものか映画オリジナルのものか良く分からないが、そこかしこでかかる音楽も格好良いものが多かった。特に激しくも悲壮感に満ちた漢字のギターの曲とか。
ポルノのテーマソングも中々。歌詞を見る限りグーグル批判というか中二病批判みたいな内容に聞こえて、BLEACHに相反している気がしなくもないけど多分違うよ多分。
もうちょっと細かい部分をキャラ別
・一護
とにかくルキアに対する想いがあらゆる場面で溢れ出ている。ルキア・恋次・白哉も惜しいところまでは行ってるが、精神論だけで記憶喪失を打ち破った唯一の存在。
記憶喪失時に訳が分からんと切り捨てたルキアの絵と暗号文を、記憶が戻った途端に一瞬で解読する一護。まずここでルキアの感性に対する理解が窺える。
何度かルキアとの関係を問われる場面があるが、そこで恥ずかしげもなく真顔で大切な仲間だとか言い切るのが良い。簡単に言えば恋愛感情を欠片も匂わせないところ。
霊子の大蛇に対して不用意に卍解かつ虚化したのはすごい不自然だった。展開的により怪しまれる為に必要な行動ではあるが、奥の手を早々に見せるなんてあまりにも非オサレで全然強そうに見えない。
ラストでルキアに対して先に帰ると言ってるが、原作において何時の設定なんだろう。まあ当たり前のように同棲してるのはおいしいので良し。
・ルキア
今回のフューチャーっぷりは凄まじいものがあった。姉弟の母親のようなポジションという普段は見せない一面を見せる。
一護とコンに宛てたラブリーレター(byコン)を「見るでない!」と隠すところはこの映画唯一の純然たる萌えポイントだった。どんな気持ちで一護とコンの似顔絵を書いていたんだろうか。
あと姉弟に意識を乗っ取られるときの絶叫の演技が激しかった。
・姉(焔)
今回の敵役ではあるが、その破壊衝動の根本はルキアと一緒に暮らしたいという一途な想いがあり、またそれを狂気的な方向へと助長させたのは虚の所為だから、ある意味被害者である。幼くして虚圏に投げ出され、親というものを持たないまま育ったのではこうなるのも仕方無く、一概に悪と言えない共感出来るタイプのキャラ。
・弟(雫)
姉に従う、という行動理念の所為でほぼ存在する意味の無い感じのキャラ。一応バトル担当っぽかったが、その辺の役割は全部姉にまとめて1キャラでよかったのではないかと思うぐらい。ラストのルキアの大切なものはすぐ近くにという台詞の為には必要か。
・コン
ぶっちゃけ一護と一緒に行動したところで役に立つことなんて無いと思うんだけど、ルキアに対する想いを汲んでくれたのかパートナーとして行動してるのがなんか嬉しい。一護に比べてルキアに蔑ろにされることに慣れてるからだろうけど、実際何があっても折れない姿勢を一護に見せることで役に立ったし、ここはすごく格好良かった。おいしいとこ持っていったなー。
・恋次
恋次を初めとして多くの死神が「何故俺の名前を知ってる?」といちいち疑問に持ってるが、隊長格辺りの人らは瀞霊廷通信なんかも出したりして相当名前売れてるんだから名前知ってるぐらいのこと有るだろうと思う。
「頭や記憶なんてクソ喰らえだ。魂が敵じゃねえと言っている」は魂に従順な恋次らしい解決法だった。その他の人もルキアとの親密度に応じてキャラを貶めないことが意識されていて好感触。
恋次「蛇尾丸にはこういう使い方もあるんだぜ!」→一護「知ってるよ」というやり取りは笑うしかない。毎度毎度公共交通機関としての役割しか果たせてない狒狒王蛇尾丸カワイソス(´・ω・`)
・白哉
備忘録付けてたから大丈夫って言うのはちょっと反則な気がしなくもない。
緋真さんとのエピソードを絡めて一護を自由に行動させる根拠を作る展開は、恋次同様に中々原作準拠で良かったと思う。
・浦原
この人尸魂界から永久追放されてたはずで、穿界門に触れるだけで弾かれるって描写もあったんだけど、「方法がないわけじゃない」の一言で侵入してしまうのはかなり無茶がある。普段の服装じゃ目立つからマユリに隊首羽織を借りてきた(小説版の説明)というのも、結局目立つのに変わりないだろうと。
あとなんかビーム出して戦ってた気がするけど、一護の月牙天衝・恋次の狒骨大砲・白哉の千本桜等等、飛び道具使い多過ぎるんじゃないだろうか。お前ら全員鎌鼬性名乗れ。
・マユリ
今回の瀞霊廷半壊の片棒を担いでいるといえなくもない上に、初っ端にやられて無様なところを見せたりと、割を食らい過ぎで可哀想なポジション。
・砕蜂&夜一
何故顔を赤らめるのか…!サービス良いなー。
・京楽&浮竹
この人らの斬魄刀解放の口上はオサレ過ぎて絶対スタッフは扱いに困ってる。第1作では「双魚理!」で出してたけど、これが弱そうで弱そうで仕方なかった。今回はこれをちゃんとやってたので強そうに見えた。不思議。
・剣八&やちる
やはり為される圧倒的強者描写。
復活した瞬間に空から沸いて出たやちるはどこで待機してたんだろう。
こんなものか。
やっぱり劇場で見るというのは、単に大スクリーンで大迫力というだけでなく、ちょっとした非日常的へ誘われることによって物語世界への没入感が高まるという意味もあったので、行ってよかったと思う。そして上映中に嵌っていることに気づけてよかった。
もっと感情的に暴論を吐けば、ルキア姐さんがスクリーン上でも美しくあられたので大変満足です。というか今の状態ならどんなものでも骨の髄まで楽しめる自信がある。
- 2009/01/17(土) 23:59:06|
- アニメBLEACH
-
| トラックバック:0
-
| コメント:0