長文は読む側からすると面倒なんだって?願ったり叶ったりだ!ギリギリSSの枠に収まらない気がする8000字ちょっとになったよ。
なんでこんな後に引けなくなるような事言っちゃうんだろうね。まあさらっと流そうようん。
4クール記念とか全然間に合ってないから57ミリ記念。
ええと、忍☆忍15ミリ手前ぐらいのお話です。最低限忍☆忍17ミリまでは見てないと意味が通じないので見てない人は読むの禁止。あと原作のイメージを壊されたくない人とか、二次創作とか萌えとかいうものに抵抗ある人とかも禁止。そうでない人も禁止。
やった!読む人いない!
1
―カリカリカリカリ
主人公は机に向かって数学の問題に悪戦苦闘していた。微分という何やら理解し難い概念を用いて、これまた何の意味を持つかすら分からない数式を解く。取り立てて成績優秀者として学校の廊下に掲示される程の頭脳を持たない彼にとって、その作業は苦行以外の何物でもなかった。しかし、明日までに問題集約20P分解いて提出しなければ更に過酷な事で有名な補習が待っていることも明白で、辛い辛くないに拘らず、やらざるを得ない。
ひたすらに数字を脳内で分解し、それを黒鉛にして紙に擦り付ける、そんな先の見えない不毛な作業の果てに、逆に数字に自意識を分解されるような奇妙な感覚を覚え、耐え切れずに思考を中断する。
時計の針は10時15分を指していた。この調子で続ければ、徹夜までは行かずとも、多少の夜更かしは必要だろうと思う。
主人公は椅子の背に深く凭れ掛かり、絡めた両手を天井に向けて軽く伸ばした。
―パタ、パタ、パタ、パタ
先刻まで意識の外にしかなかったと思われる音が、主人公の耳に届いた。
後ろを振り返る。
そこには一人の小柄な少女が居た。制服のまま着替えもせずにだらしなく床に寝そべり、足を宙空に投げ出しながら何やら紙に文字を書きつけている。彼女の両の足先は交互に床と太腿を往復し、それが一定の間隔で音を発していた。彼女の周囲には、それは自分の仕事ではないと言わんばかりに、赤のリボンと黒のソックスが脱ぎ捨てられたまま放置されている。
思えばこうして宿題を期限ギリギリまで溜め込む羽目になったのも、この少女―名無しのななこ―の所為である。彼女の下僕として昼夜問わず事ある毎に任務である変蝶々退治を代行させられ、自由な時間は殆ど失われている。先日など、ピエロの変蝶々との戦いで怪我を負い、それを癒すのにもまた数日を要した。一歩間違えば死すら覚悟せねばならない危険な任務ではあるが、それでも主人公はななこと共に行動出来るというだけで幸福を感じていたし、いつか彼女を振り向かせるという野望もあったので、日々の生活に充足感を覚えていた。女の影を追いかけては気味悪がられ切り捨てられる以前の生活に比べれば、大躍進と言っても過言ではない。
ななこも自分と同じく数学の問題に取り掛かっているのだろうかと、主人公は思う。しかしそれにしては妙にリラックスした風体で、加えてこちらに足を向けている為に少ししか窺えない表情もどこか嬉々としている。彼女にとってはこの程度の問題など意に介すこともないという事なのかもしれないが、真意は知れない。
「…なあ、名無しのななこ」
「下僕の分際で話しかけないで」
ななこは顔を1ミリもこちらに向けることなくそう言い放つ。
ななこのこうした拒絶は日常茶飯であり、なればこの程度でめげる主人公ではない。むしろこれは反骨精神、ひいては愛の深さを試されているのだろうと主人公は考え、何事も無かったかのように続ける。
「これって同棲生活だよな?」
「はぁ?」
ななこは今度は主人公の方に顔を向け、心底呆れた、というような表情を見せ付ける。
「なんで私があんたと同棲しなきゃならないのよ。あんたと同棲なんて吐き気がするわ。ただ私に住む所が無いから仕方なくここに住んであげてるってだけよ。あんた下僕なんだから主人に住まいを提供するぐらいのことして当然でしょ?」
「いやそれを同棲って言うんじゃ…」
「何ならあんたがここを出て行くべきなんだけど」
「ええ!?そんな理不尽あって堪るか!」
「嫌なら下僕は下僕らしく黙ってなさい」
一方的に自身の要求を突きつけると、またななこは何食わぬ顔で元の態勢に戻った。
何度聞いても納得しかねる弁だが、深く追求してもななこの機嫌を損ねる事にしかなりそうにないので、何故主人公の学校に転校してきたのかという次なる疑問は心の内に留めておく。ななこがどう思っていようと、主人公にとっては、また一般的な概念から見ても間違いなく、これは同棲生活である。一つ屋根の下暮らしているというその事実に主人公は満足していた。同じ部屋に一人女の子が居るというだけで部屋の空気ががらりと変わる。
しかし一方で、ななこがこれだけ主人公に対して無防備な姿を曝け出すという事は、主人公を一人の男として捉えていないことも厳然と示している。
「あーそれから」ななこが虚空を見上げながら言う。「あんたが今やってる宿題は後で写させなさい」
「え、今お前がやってるの宿題じゃなかったのか?」
理不尽を通り越して意外な要求に主人公は少し驚いた。
「何で私がそんな事やらないといけないのよ。雑用は下僕であるあんたの役目でしょうが」
よくよく考えてみればななこは転校以来宿題などやった例がなく、全面的に主人公に頼り切っている。そしてその頼みを従順にこなす主人公の傍らで、演劇の練習をしたり、繋がっていない携帯電話に話しかけて、主人公の集中を阻害するのが常だった。今日は珍しく静かだったので趣味に興じているわけではないと思ったのだが、それが勉強でないなら、何をしているというのか。
気になったので立ち上がり、ななこの上体に近寄って、作業内容を確かめようとする。今まで頭で死角になっていた場所に、いつの間に本棚から引っ張り出していたのかDEATH NOTE2巻が開かれた状態で表紙を表にして置いてあった。
そして―
「ちょっと!覗かないでよ変態!」
ななこは主人公の動きにすぐさま反応して、今まで何か書いていた紙を体の下にさっと隠した。
「何だよ、恋人同士隠し事は無しって約束だろ?」
「あんたの妄想はどこまで飛躍してんのよ…。ほらあんたには無関係だから、しっしっ」
ななこは床に胸をぴったりと付けたまま、片手をひらひらさせて主人公を追い払おうとする。秘密を守る為にかなり無防備な状態になっているので、無理矢理引き剥がすことも出来なくはないが、彼女の体に触れでもすれば烈火のごとく怒り出すのは火を見るより明らかだし、押し問答を続けたところで取り合ってもらえそうにもないので、仕方なく机に戻ることにした。ななこはそれを確認すると「全く…」と呟いて元の体勢に戻る。
漫画が関係あるのだろうか。そう言えば、ななこは何かにつけてセンスフルな絵で物事を解説するきらいがあったが、小畑健のアシスタントでも目指しているのだろうか。流石にそれは無理だと思いながら主人公は数字渦巻く魔窟に思考を戻した。
2
―カリカリカリカリ
―パタ、パタ、パタ、パタ
それから数十分、そろそろ多くの人が寝静まろうという夜の静寂の中に、二つの音だけが交錯する。
数学の問題は章の終わりに近づくに連れて、複雑な思考を要するものが増え、単純作業として割り切るのが難しくなり始める。すると外部の音を意識の外に放り出すのが困難になり、その些細な音によって集中が乱されるという悪循環。想像よりも長引きそうな予兆を感じる。
「あ゛ー…」
主人公は声とも呻きともつかない音を発しながら、眉間を摘まんで天井を見上げた。
丁度その時、ななこの方からしていた音が止んだ。
「出来たー!」
主人公がそのまま横目で見遣ると、ななこは立ち上がってゆっくりと主人公に歩み寄って来た。後ろ手に何かを隠し持っている。恐らく件の紙であろう。関係ないわけではなかった。
「ねぇ下僕、ちょっとお願いがあるんだけど…聞いてくれるわよね?」
主人公はななこの方に向き直り、改めて彼女を見る。
お願い―そう宣うななこは未だかつて主人公には見せた事が無い程の物腰穏やかな様子で、やれ喉が渇いたからジュースを買って来いだの、やれお腹が空いたから食事を用意しろなどといった普段の我侭とは明らかに異なり、潤んだ瞳は一種嬌艶な雰囲気さえ纏っていた。
それはその願いさえ聞き入れることが出来ればこれまでの全ての想いが成就するのではないかという直感を主人公に与えるに十分だった。据え膳食わぬは男の恥というかなんというか、無論主人公に断る理由など存在しない。
「当たり前だろ!お前の為ならたとえ火の中水の中、この命尽き果てようとも絶対にやり遂げて見せる!さあ、何でも言いつけてくれ!」
主人公が拳に力を込めながら全身全霊を以ってそう言い切ると、ななこは「うわ…」と小さく呟いて後ずさったが、すぐに引き攣り気味ながらも笑顔を取り戻す。
「まあ別に大したことじゃないのよ。ただ何も言わずにここにサインと捺印してくれるだけでいいの」
ななこが差し出すそれは、A4サイズの封筒だった。しかしただの封筒ではなく、一部分が長方形に切り取られている。つまり、封を開けることなく中に入った紙に記入できる形だ。どこかで見たような覚えがある。
「サインと捺印…」
「そう」
主人公はななこの瞳をじっと見据えて、封筒を受け取る。そして与えられた数少ない情報から冷静に現状を把握し、思考を巡らせる。しかし、主人公の脳内の如何なるニューロンネットワークを経ようとも導かれる結論はただ一つしか存在しない。
「そうか、これ婚姻届か!」
「は?」
「ななこ…やっとお前も俺の気持ちを分かってくれたんだな…。そうだよな、恋人同士って言うステップをこんなに早く終わらせるのはちょっと勿体ない気もするけど、やっぱり結婚前に同棲生活なんて良くないよな。そうか、遂に俺達も夫婦か…。結婚式場と新婚旅行どこにするのか考えないとな。それにこの機会に妹子と妹美とおじさんにも改めてお前を紹介しなくちゃいけないし…。あ、もちろん絶対に幸せにしてみせるからお前は何の心配もしなくていいぜ!」
一人盛り上がる主人公を前にして、呆気に取られて固まっているななこ。尚も主人公の興奮は続く。
「でもさ、お前って結構いじらしいところあるよな。恥ずかしいからってこんな小細工に時間かけてさ。だけどやっぱり俺はちゃんとお前の名前の隣に幸せを噛み締めながら自分の名前書きたいから…」
「ちょっ…!何開けようとして…」
主人公の封を切ろうとする行為に慌てて飛び掛かる。しかし主人公はそれを半身で交わし、更なる追撃も両腕を思い切り上方に伸ばす事で避ける。そうなってはいくらななこが手を伸ばそうとも約30cmはあろうかという身長差の為に、絶対に届くことはない。
封筒の口は糊付けされていたが、まだ乾き切っていない為に、たとえななこが下から必死に主人公の行為を妨げようとしたところで、剥がすのはそれほど難しい事ではなかった。そのまま主人公は天井近くで中身の紙を取り出す。用済みとなった封筒はバサリと音を立てて床に落ちた。
しかしそこにあったのは婚姻届ではなく”生命保険(死亡保険)契約申込書”の文字。
「あれ?これって…」
ななこは「ちっ」と舌打ちをして、諦めたような、ばつの悪そうな顔をして、押し黙った。
主人公は新たに生まれたこの状況に対し、再度千思万考し、今度は先程とは少し異なる思考回路と、過去の記憶の片鱗を通じて、結論に至る。
「お前…そんなに俺が居なくなることに不安を感じてたのか…!」
「はあああ?」
「確かに、夫亡き後の妻なんて何に縋って生きていけばいいか分からないもんな。未亡人って奴か…。そんな時のことを考えて不安に押し潰されそうになっているお前の気持ちも良く分かる。今俺の胸の中で泣いたっていいんだぜ…!」
ななこは呆れを通り越して怒りを覚え始めたようで、ななこの体を包み込もうとする主人公の腕は無視して、眉間に皺を寄せながらブルブルと拳を震わせていた。
「ウザッ…キモッ…。もう何でもいいから書く気あるならさっさと書きなさいよ!」
ななこは持っていたボールペンを主人公に押し付けようとするが、主人公はそれを受け取ろうとはしなかった。
「でもこんなものは必要ないんだ!俺はお前を残して先に死んだりしないから!」
主人公は申込用紙を上空に投げ捨てた上で、ななこの両肩を掴んでそう言い切った。ななこは再びポカンと大口を開けて暫し呆然とするしかない。
「…馬っっっっっ鹿じゃないの!?」
ななこは主人公の両腕を軽く払い除けた。
「もう嫌…。何であんたみたいな生物がこの世に存在するのかしら…。ほんとにもう、疲れる…」
ななこは部屋のドアの方へと翻り、ふらふらと歩き出す。
「どこ行くんだ?」
「お風呂よ」
「じゃあ俺も一緒に」
「死ねっ!!!」
即座に反応して服を脱ごうとする主人公の鳩尾を、ななこは振り返りざまに寸分違わぬ精度で捉え、全力で以って蹴り付ける。ななこは相当に高々と足を上げる事になったにも拘らず、彼女の制服のスカートは魔法でも掛かっているかのような完全に物理法則を無視した不自然極まりない動きで、目の前の主人公の視線から彼女を保護している。
そしてななこの華奢な体からは想像もつかないような勢いで主人公は後ろに吹き飛びながら、ドアを大きく鳴らして部屋から去るななこを見送った。
3
主人公は吹き飛ばされたそのままの、ベッドを横断するように仰臥した状態で、沈思黙考していた。
―風呂に入っているななこについて。
やはり上から順番に洗っていくのが一般的だろうか。髪の毛からは堅いだろう。その次はやはり利き腕が最も作用させやすい位置にある左二の腕か。首という線も捨てきれない。次は体の中心部だろう。さちこさんに比べて余りに微かなその膨らみを一体どんな気持ちで洗うのだろうか。そして背中を経て次第にななこの艶やかな細指は体の下方へと向かい始める。腹、臍、そして高校生男子の想像を絶するような禁断の花園的な場所に…。
…
……
本当は、覚えている。ピエロとの戦いで傷付き、気を失う寸前に確かに聞いた。「死ぬならその前に生命保険にサインしてもらわないと」という言葉。
ななこは主人公の死によって金銭的対価を得ようとしている。それどころか主人公が変蝶々を全て打ち倒し、下僕としての役目を果し終えた時、自らの手で主人公を殺害することさえ考えている。
しかし、本当にそうだろうか。
倒れ伏さんとする主人公を自らの体で以って受け止めるななこの太腿の柔らかさを後頭部に感じたこともまた、覚えている。
そこに主人公は利益を追求する欲望と全てを割り切ることの出来ない優しさという矛盾する感情を見ている。
にも拘らず、先刻主人公は平生の前向き思考の勢いに任せて嘘をついた。それはななこに対する、というよりも自分自身に対する欺瞞である。いよいよとなれば、ななこは主人公を殺すという考えが支配的であり、それに対する恐怖を否定することが出来ないのだ。
知っていながら信じ切れない男に人を愛する資格などあろうか。
主人公は勢いよくベッドから立ち上がった。床に落ちている生命保険申込書と、よく見れば小さく「American Family Life Assurance Company」と印字された穴開きの封筒を拾い上げる。放置されたコミックスも然り、この計画の杜撰さは、ななこの想像力の拙さの表れではなく、ただ主人公を見縊り切った結果であると思う。
こんなことでは駄目だ。絶対に殺されることなどないと信じなければならない。絶対に殺されてはならない。そして絶対に彼女の手を血に染めさせるような事があってはならない。
強さが欲しい。彼女を超える強さ、彼女を振り向かせる強さ、そして彼女を守れるだけの強さが。
――これは俺の覚悟だ
主人公は机に申込書を置き、ペンと朱肉を取り出した。
4
ななこが長い風呂を終え、再び主人公の部屋の扉を潜る。
主人公は組んだ手を膝の上に置いて、ベッドに腰掛けていた。そして無言でスタスタと主人公の前を過ぎ去ろうとするななこを真摯に見詰める。
「なあ…名無しのななこ。ずっと考えてたんだけどさ」
ななこは主人公を横目で見遣った後、流石に空気の違いを感じ取って多少は取り合う姿勢を見せる。
「…何よ」
ななこは縦横にラインの入った黄色のパジャマに着替えている。透き通るような白い肌は熱によって仄かに上気して、少し湿り気を帯びた所為で肩口で普段より穏やかに跳ねている黒髪は芳しい香りを放っている。本当に匂い分子が主人公の鼻に届いているかどうかは定かではないが、そんな気がする。
「…風呂入ったらまず初めにどこから洗うんだ?やっぱり二の腕…」
「死になさい。一度地獄に落ちて10万年辛苦を味わった後生き返って、もう一度死になさい」
ななこは相手にするんじゃなかった、という様子で押入れの前まで歩く。
「折角さっぱりしたのにあんたの所為で台無しだわ。ほんとに最悪…。もう私寝るから」
押入れは彼女の寝床である。ドラえもんへの憧れなのかどうかは知る由もないが、とにかくここを気に入っているらしい。
「宿題はどうするんだ?」
「明日の朝に写すからそれまでにやっときなさいよ」
「そっか」
ななこは押入れの襖を開け放ち、上の段に登ろうと両腕に重心を寄せる。しかし、その動作の途中でななこはそれに気付き、動きを止めた。
押入れの布団の上には、生命保険の申込書が置かれている。主人公のサインと捺印が為された状態で。
ななこはそれを拾い上げると、こねくり回すように様々な角度から暫し見続け、そして主人公を振り返る。
「…どういう心境の変化なわけ?」
右手指で摘まんだ申込書をひらひらと動かして存在を示しながら、主人公に訝しげな視線を送る。
「…」
主人公は沈黙している。
「…まあ理由なんでどうでもいいわ、サインさえさせればこっちのもんよ。これからあんたがギッタギタの襤褸雑巾になるまで下僕として扱き使って、変蝶々を全滅させた頃に殺して、そして多額の金銭をせしめて幸せに暮らしてやるんだからね。ご愁傷様」
「…」
未だ主人公は沈黙している。
「あんた、最低の変態で塵で屑なだけじゃなくて、救いようのない馬鹿なのね。おかげで助かるわ。」
「…」
それでも主人公は沈黙している。
「…ちょっと、なんとか言いなさいよ。下僕らしく周章狼狽して無様に命乞いでもしたらどうなのよ…!」
流石にどんなに謗ろうとも微動だにすることなく、ただななこを見詰め続ける主人公が不可解なのか、語調の強さが際立ち始める。
「…信じてるから」
「は?」
どこまでも真っ直ぐな視線を伴って、その上飽く迄も真っ直ぐな言葉に、一瞬たじろぐななこ。腰が押入れの仕切り板に当たり、びくっと体全体を揺らす。
「全然意味分かんないんだけど。馬っっっ鹿じゃないの!?あんた分かってんの?これは私があんたを殺す理由になるのよ!」
最早主人公の反応などに一切の留意も払わず、まくし立てるようにななこは続ける。
「どうせ私には出来ないとでも思ってるんでしょう?甘いわね。忍法硬直の術を破ったぐらいでいい気になるんじゃないわ。忍法を使えば証拠を残さずに事故に見せかけて殺すなんてわけないのよ。忍法にはまだ現代科学で解明されてない部分があるんだからね…」
「信じてる…」
「黙れ!」
同じ言葉の繰り返しに、ななこは苛立ちを隠せず、遮るように罵倒の言葉を紡ぐ。
「何なら今殺したって良いのよ。あんたが死ぬことによって得られるお金に比べれば、あんたの働きなんて無いも同然なんだから…!」
そう言うとななこは左手の人差し指と中指を眼前に突き立て、それに意識を集中した。次第にななこの指の周囲には蛍光灯下でもはっきりと見て取れる程に煌々とした蒼白い光が収斂し始める。
部屋の空気が緊緊と音を立てているかのように軋んでいる。
主人公はその凄絶なプレッシャーを前にしながら、それでも決して体勢を崩したりはせず、ひたすらに刮目する。
収斂し切った光は指の周りに球を為しながら赫灼して、ななこの双眸にもその反射が映り込む。
永遠とも思える一瞬、お互いはお互いを見詰め続ける。
ななこの額をつうと一筋の汗が流れた。
するとななこは眉根を顰めて、腕に込めた力を弛緩させた。光は拡散し、大気中へと消え失せる。
「ふん…まあいいわ。どうせあんたなんか私が手を掛けるまでもないのよ」
そう言うとななこは体を翻し、押入れの上段に攀じ登った。
「いいこと、次にあんたが変蝶々との戦いで無様な姿を見せたときがあんたの最期よ。その時は一片の慈悲もなく見殺しにしてこの紙にサインしたことを後悔させてやるんだから。覚悟しとくがいいわ!」
ななこはびしっと主人公を指差しながらそう言い放ち、そして押入れの襖を勢い良く閉めた。
「ああ、気を付ける」
既に閉まった押入れに向かって主人公はそう答えた。
すると襖はほんの少し開いて、そこからななこが片目を覗かせた。
「…あ、あと数学のノートは分かるように机の上出しときなさいよ」
「はいよ」
それからごそごそと布団を弄る音がして、それも止んでから暫くして、漸く主人公の緊張の糸は切れ、そのままベッドに大の字に倒れ込んだ。精神的に凄まじい疲労感を覚えている。
主人公は照明に向かって掌を翳した。そしてその光を包み込むように強く拳を握る。
―強くならないと
まだ何も為してはいない。為すべきことは多量にある。
まず第一に数学の宿題か。あれだけ気にしていたのだからななこはよっぽど補習を避けたいのだろう。ここで明日の朝やっていませんでしたなどと言えば、それこそ命の保証は無い。
しかし現状些か疲労感が募っているのも確かで。
蛍光灯の光が眩しいので主人公は目を閉じた。いかに外の世界が輝いていようと、瞼を閉じるだけで闇は確実に訪れる。
そして、ななこと一緒に受けられるのなら補習も悪くないのではないかという奇妙な考えが胡乱の中に浮かび始める。
何かが間違っているようなそんな予感を覚えながら、主人公の意識は瞼の裏の闇の中に溶けていった。
―これから起こらんとする騒乱など知る由も無く
- 2009/02/15(日) 23:54:30|
- 忍次創作
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