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カットバセーアーカーホシー

フィクションなんですよ。


僕は数万の歓声に溢れた野球場の喧騒の中に居た。
試合開始から数分だったが、僕は既に疲れ果てていた。どうして良いか分からなかった。一緒にいる友人の会話もどこか外国語のようで、それは脳の表面を滑り抜けて行くだけだった。そして周りに座っている人たちが生み出す独特のリズムは、僕の瞼に重力を加えていった。
僕は周りの人たちの行為を注意深く観察することにした。途切れがちな思考の中でも少しずつ理解が及び始める。例外もあるが、主たる行為は次のように概略された。
まず選手の各々に対しては応援歌が定められており、現在の打者に応じてそれを選択し、それに即したリズムを棒を用いて刻む。そして、ボールが守備側の選手によって塁に送られるのに要する時間より打者が累に到達する時間が短いと判断されるような場所にボールが運ばれたとき、つまりヒットが打たれたときに、そのヒットの試合に対する重要度に比例した強さで棒を叩く。これは常に打者側の視点から見るのではなく、どちらか一方のチームについて行い、守備側であれば逆にヒット阻止に関する重要性に依る。どちらのチームの視点に立つかはおそらく自分の着ている服の色によって決定される。
言ってみれば単純な作業に見えるが、これを行うことが僕にはどうしても出来なかった。米粒ほどの大きさの選手の動きを追い、またその米粒に描かれた般若心経のような大きさのボールの動きを追うことによって、試合展開を把握するのに必要な集中力を保持するのが困難だった。僕は焦って辺りを見回したが、一連の動作を行えていない僕のような人間はいくら探しても見つからなかった。それが僕にはとても、とても恥ずかしく感じられた。
僕は社会の歯車のひとつとして平凡な人生を歩むことを強く願い、同時にそこから爪弾きにされることを極端に恐れていた。ただ普通でありたい。しかし、僕は出来の悪い人間なのだ。普通の人と同じようなことを成すには、普通の人の何倍もの努力を要する。それは今まで今まで生きてきた中で十二分に痛感していたはずなのに。なのに。
そもそもこの程度の作業なら人間ですらなくても、機械にだって出来る。野球のルールをインプットしておき、ストライク・ボール・アウトのカウントや得点の変数を用意し、スコアボードなどから情報を受け取り、試合状況を把握させる。画像認識によってボールと選手の動きを追い、ヒットが打たれたときに、そのヒットの評価関数を呼び出し試合状況と照らし合わせてヒットの重要度を評価する。評価に応じて音声ファイルの大きさを調整して出力する。スタメンボードから現在の打者名を受け取り、予めインプットした応援歌に対するリズムの音声データを出力する。これで大概の場合に対応できる。
そうだ。僕のような人間にはそれが必要だったのだ。最初に強いられる作業は膨大ではあるが、一端作ってしまえば永遠にこの動作を行うことが出来る。そうすればこんな思いをせずに堂々とここに座っていることが出来たのだ。棒の打擲それ自体に意味がある可能性はあるが、その程度なら大目に見てもらえるに違いない。何故予め考えて準備していなかったのか。僕は深い後悔の念を覚え、自分の無能さに嫌気が差した。
僕はその場に居た堪れなくなって、ただ試合が早く終わることを祈り始めた。スコアボードを見続け、黄色か赤色の光が灯ることを祈った。しかしまた緑の光が灯る。黄色が二つ灯っているときは打球は二本のポールの向こう側の観客席へとやたらと落ちる。そして黄色はすぐにリセットされる。赤色だけが頼りだ。赤色だけが。
まだ三回表、終わったのは全体の四分の一に過ぎない。これがあと四倍もの時間繰り返されることに恐怖した。
観衆の刻むリズムは確実に催眠術のように僕の頭に作用する。視界が狭まり下方へと落ちる。次第にスコアボードを見ることすら出来なくなる。ダメだ。寝てはならない。せめて、それだけは、意識だけは保たなければ…。
…しろい選手が茶色の土のうえをかけ回って…。
…。

気付いたときには、スコアボードは全て数字で埋まっていた。僕はいつもいつもどうしてこんなにダメなのだろうか。
激しい自己嫌悪に苛まれながらも、しかし心のどこかでは終わったことに対する安堵感も感じていた。過ぎ去ったことはもう仕方がないと自分に言い聞かせた。
そして、二度とこんな間違いは犯さないと心に誓って席を立った。
だが、観衆は誰一人としてその場を離れようとはしない。
恐る恐る僕はスコアボードの数字を見直した。
”計”の欄の下には同じ数字が二つ、並んでいた。
  1. 2008/09/23(火) 23:56:12|
  2. 一次創作
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